ADHDの僕の、これまでの人生

ADHDとは?

こんにちは、ポン太です!🐱

いきなりですが、僕のこれまでの人生は、

最高で最悪な人生

です!

どういうことか?

順に説明していきますね!

幼少期(保育園児の記憶)

まずは、幼少期から振り返っていきます。

結論、とても良い子でした笑

ここで、ADHDをよく理解しているそこのあなたは、

「あれ?ADHDの子って動き回って先生を困らせる子のことじゃないの?」

と思うかも知れません。

僕は違うのです。学生時代、基本動き回ったりはしていないです!

ただ、一つだけ困ったこともありました。それは何か?

お昼寝の時間にみんなと寝ることができないんです。

おそらく、他の園児がいる中で寝ることに 集中できなかった のです。

このように、動き回る以外にもADHDにはさまざまな特徴があるんですね。

保育園に通っている頃は、特に困ったことはなく、幸せに暮らしていた記憶です笑

学生期(小学生〜高校生)

小学生の頃はどのように暮らしていたのでしょうか?

とにかく目立ちたがりの、運動神経の良い子供でした

自分で言うなよ!と思いますよね。ただ、本当なんです。

小学4年生〜小学6年生までは学級委員長。6年間ずっとリレーの選手。そして、野球もレギュラー!

にも関わらず、正直小学生の頃から周りの友達と馴染めていないなと思っていました。

人気者である自負はありましたが、何か周りと違う。学生カーストの上にも、真ん中にも、下にも属さない。みんなと満遍なく仲が良いが、特別仲の良い子はいない。そんな子供でした。

少し違和感のある小学生時代でした。

中学生になると、陸上部に入ります。理由は、足がはやかったから。

ただ、これは全く続きません。1ヶ月も行かず、途中で退部。

これではダメだ!と、中学2年からは生徒会に入ります。

だけど、中学3年には彼女ができており、生徒会をサボりがちに。

勉強もできず、部活にも入らない。とても褒められた中学生ではありませんでした。

高校生になると、陸上部に入ります。

またかよ!と思いますよね笑

自分なりに悩んで、「今度こそは!」と思って入部しました。

結果は、3ヶ月で退部。またまた颯爽と辞めてしまいました。

高校生の頃は、ずっとアルバイトをしていました。

初めてのアルバイトは、CoCo壱。(僕の地元愛知県発祥って知っていました?)

初めての社会、挫折の連続でした。人に教われば、みんな言うことが違う。何が良いのかわからず店長に叱られる。

普通の人なら、上手くできるのだろうけど、僕は全く馴染めませんでした。

極め付けは、お客さんにカレーをぶっかけて退職。店長からすれば、最悪なバイトだったと思います。

CoCo壱は、3ヶ月ほどで退職し、次に薬局で働くこととしました。

これが意外に僕でもでき、結果2年ほど続けることができました!

初めての継続です笑

ただ、やはりここでも仲の良い先輩はできずに終わってしまいます。

高校は偏差値40ほどのお馬鹿さん高校でしたが、

「大学は良いところ行かなきゃ」

と少しだけ頑張り、偏差値50ほどの教育学科に進学します。

大学生時代

大学時代!とても楽しかった〜〜〜

今すぐに戻りたいです笑

大学生の時に、特別支援教育の授業を受けた際に、「ADHD」「ASD」と言う発達障害に妙に興味を持ちました。

この時に、教授が

「いじられやすい子は発達障害の可能性がある」

と言ったんです。理由は、嫌なことを嫌と言えない。頭の中にある言葉をうまくまとめられないから。だそうです。

実は僕、小中高大、ずっといじられキャラ。

ふと、

「あれ、僕って発達障害か?」

と初めて思うきっかけになりました。

ただ、友達は多かった。だから、とても楽しい4年間でした!

そのまま社会に出ていきます。

社会人〜現在

僕、今25歳、社会人3年目です。

ですが、既に3社経験し、次が4社目になります。

少しまずいですね。

退職理由は、基本人間関係です。

今は、最高な人生とは言えません。

でも、ここから必ず最高な人生にして見せます!!

少しでも僕に共感してくれる方がいたら一緒に頑張って行けたら嬉しいです。

読んでいただきありがとうございます!また読みに来てくださいね🐱

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